なぜ、ただの事実確認が「責められている」に聞こえるのか?――AIとの対話でたどり着いた、ある「結論」
仕事で、良かれと思って仲裁に入ったのに、かえって事態をこじらせてしまった経験はないでしょうか。
以前、こんな出来事がありました。同僚のAさんとBさんが、あるプロジェクトの進め方を巡って、長期間に及ぶ摩擦に発展。私は双方から話を聞き、改善を試みました。
Bさんは、自身の至らなさを認め、全てではないものの改善に向けて行動してくれました。問題は、Aさんでした。摩擦の根本には、Aさんの考えの整理が不十分で、要求がうまく伝わっていなかったという事実がありました。しかし、私が時間をかけてその点を整理しようと試みても、Aさんはヒアリングそのものを「自分が悪いと言われている」と捉えてしまったのです。
私に責める意図は全くありません。丁寧なアプローチを尽くしたつもりでした。それなのに、なぜ伝わらないのか。この答えのない問いに頭を抱え、思考の整理のために、私は対話AIのGeminiに壁打ちを始めました。
AIとの壁打ちで見えてきた「心の壁」の正体
AIとの対話は、自分の考えを客観視するのに役立ちます。Geminiはまず、この問題を理解するための4つのキーワードを提示してくれました。
- 客観性: 事実やデータを元にした、公平な視点。
- 主観性: 個人の感情や価値観を通した、偏りのある視点。
- 自己認知: 自分自身が「自分はこういう人間だ」と考えている姿。
- 他己認知: 他者が「あなたはこういう人だ」と認識している姿。
このフレームワークに当てはめてみると、状況がクリアになりました。
私は客観的な事実に基づいてAさんと話そうとした。しかしAさんは、強い主観フィルターを通して私の言葉を受け取り、「攻撃された」と解釈した。
そして、摩擦の核心は、Aさんの自己認知(「私はちゃんとやれている」)と、私やBさんからの他己認知(「考えが整理されておらず、要求が分かりにくい」)の間に、大きなギャップがあったことでした。
このギャップこそが、人が他者からの指摘を素直に受け入れられない心理的な「壁」の正体だったのです。特に、自分でも薄々感じている課題(図星)を指摘されると、人は自己防衛のために最も高く厚い壁を築いてしまうのだと。
「私にできたこと」は、もう無いのか?
では、私にできたことは、他に何があったのでしょうか。
Bさんが自主的に改善していたからこそ、Aさんにも同じレベルに立ってほしかった。その一心で、時間をかけて具体例を出し、実際に行動を促すところまで、できる限りのサポートをしたつもりでした。
それでも、Aさんにとっては「非難」にしか聞こえなかった。この事実は、私にとって重くのしかかります。論理や丁寧さ(客観性)だけでは、人の主観や自己認知の壁を越えるのは、かくも難しいのかと。
結論:「諦める」のではなく「手放す」という選択
この一連の出来事とAIとの対話を通じて、私が知りたかったのは、ただ一つ。「もう、諦めても良いのだろうか?」という問いへの答えでした。
そして、私が出した結論はこうです。
「これは、『諦める』のではない。『自分の責任範囲』を見極め、これ以上コントロールできない相手の課題を、相手に『手放す』のだ」と。
第三者としての私の役割は、あくまで「気づき」を促す環境を整えることまで。どれだけ誠実に向き合っても、最終的に変わるかどうかを決めるのは本人です。本人が変わる準備ができていないのなら、それはもはや私の力不足ではなく、相手自身の課題なのです。
相手を変えようとすることをやめ、健全な境界線を引く。そうでも考えなければ、こちらの心が持たない、というのが正直なところです。
この一件で、Aさんとの関係がすぐに改善することはないでしょう。「正しいこと」を「正しく」伝えても人の心は動かないという、厳しい現実を突きつけられただけなのかもしれません。